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2011,10,14, Friday
少年時代の釣りⅠ 北国、津軽の海にはアイナメが多い。 幾種類かあるが、その中で一般的なのは「アブラッコ」とか 「シンジョ」と言われるものだろう。 ある日、父が「シンジョ」の大型を釣って来た。 母が台所で調理をするが、ヒバの木の大きなマナイタから、 その尻尾がはみ出している。 1メートルぐらいあったような気がする。 しかし、よく考えてみると1メートルなんてアイナメがあったらコリャ事件だ。 やはり子供心の記憶である。余計に大きく感じたのだろう。 子供の頃、この「シンジョ」を釣るのが得意だった。 オモリの下10センチの所に釣り針を着けるだけ。 餌は、ヤドカリを貝殻から取り出したもの。 竹竿の先にタコ糸を1ヒロ、その先に20センチほどのナイロンハリス。 当時ナイロンハリスはとても貴重なものだ。 磯場を歩きながら、魚の居そうな穴に静かに落とし込む。 20~30センチほどのアイナメが餌に食いつくと、ガクガクっ竿先を引き込む。 稀には40センチを超えるようなビール瓶サイズだと、 それは息が止まるほどの興奮である。 釣ったアイナメは醤油漬けにしてから焼き、晩ご飯の食卓に登る。 串刺しにしたアイナメの香ばしい醤油の香りは、懐かしいおふくろの味だ。 少年時代の釣りⅡ 北国津軽の夏は短い。 9月の声を聴くと霜が降り、10月には山に雪が降る。 岩木山の山頂が白くなる頃、父と一緒にフクラゲ釣りに出た。 櫓で漕ぐ小舟から胴付き針の3本仕掛け。 上の2本にはハゲ皮のバケ、下バリには生きたドジョウを付ける。 下バリにはヒラメが来る事もある。 仕掛けを落としてから、ゆっくりと櫓を漕ぎバケが泳ぐようにする。 しかし、この時期から日本海は荒れてくる。 父が数尾釣っただけで風が出てきた。 「かつあき~(私の名前だ)、帰るから、道具を片付けるべ~」 かじかむ手で、仕掛けを手繰る。 手繰った途中で手ごたえがあった。 フクラゲはイナダである。バケが動いたので食ったのだろう。 ちょうど群れに当たったようで3本食ってきた。 子供の私には大騒ぎである。 父に手伝って貰い何とか引き上げる事が出来た。 いつの間にか、周りにはフクラゲのナブラが出来ている。 もう一度仕掛けを落とそうとすると、父が、 「だめだ~、風が出るぞ~、帰る~」 そして、道具を畳んで船が走り出した途端に、 横で大きな水柱が上がり揺れが起こった。 シャチである。 それは船の3倍ほどの大きさであろうか。 物凄いスピードでフクラゲを追いまわす。 良かった。 あの場にいたら、こんな小船など簡単に引っくり返っていただろう。 少年時代の釣りⅢ 弘前の小学校にいた頃、林間学校と言うのがあった。 汽車に(懐かしいね~)乗って浅虫温泉まで行き、 そこから徒歩で白根崎と言う岬で野外活動する。 まあ、泊らないけどキャンプみたいなものだ。 焚き木を取るグルーップや、 炉を作って火をおこしハンゴウでご飯を炊くグループ。 女子は恒例のカレー作り。 私は当然に食料調達で釣りグループだ。 このグループは人気がある。 なんたって、釣りは楽しいからだ。 先生と私を含め10人ほどが磯場で釣り糸を垂らす。 しかし、こんな釣りはオイラ専門家だ。 左手に湯ノ島を望む、 低い磯場をまるで牛若丸のように飛び回る(猿と言った方が良い)。 他は青ベラやゴンズイのような、気色の悪い魚しか釣れない中で、 しっかりとアイナメを3尾ほどゲッチュした。 「わ~、これ工藤君(おいらの本名)釣ったの~、すっごい~、オッキイ~」 女子軍から賛美の言葉を背に受けて、意気揚々、威風堂々。鼻高々。 「まあ、みそ汁さだば、もったいね~、腹ワダ出して、ウロコ剥いで、 ブツ切り~、こうやるだ~!。」 パッ、パッ、パッと手際よく。 かくして小麦粉がダンゴ状になったカレーライスに、 玉葱の入ったアイナメの極上味噌汁。 豪華絢爛な食事会だ。 一躍、おいらは先生にも一目置かれるヒーローとなった。 少年時代の釣りⅣ ハヤ釣りと言うのがある。 小川で簡単に出来る釣りだ。 エサは食い物だったら何でも良い。 ご飯粒、ソーセージ、ハンペン、魚のハラワタ、皮、 何でも食うのは食欲旺盛だからだろう。 そこで、色んなエサで試す事にした。 ミミズは糸ミミズよりも大きなミミズを小さく切った方が良いようだ。 魚はカツオの肝臓が良い。 野菜類はさすがに食いが落ちる。 しかし、茹でたトウモロコシにも食い付くし、 ウリの種にまで食い付いた。 しかし、何といっても驚いたのは、脱脂綿である。 針に撒き付け、オモリを付けない針を流れに落とすと、 その浮力で浮いたままス~っと流れる。 木陰などの死角に入るといきなりパクリなのだ。 良く考えてみると、フライフィッシングだろうか。 でも、感覚的には海釣りのウィリーにも似ている。 まあ、淡水も海水も魚の習性はさほど変わらないと云う事になるだろう。 このハヤは大きいのより小振りな方が美味しい気がする。 5センチぐらいの奴を3~4匹まとめてテンプラに上げる。 ワカサギとは違った風味がする。 最近は、あまり目にする魚ではない。 果たして今でも釣れるだろうか。 少年時代の釣りⅤ 先日、青森でフィッシングショーが開催された。 最近は、地方でもこのような釣りのイベントが多いようだ。 青森は三方が海に囲まれている。その為か、1万人以上も詰めかけ大盛況だった。 青森出身の私はゲストとして迎えられトークショーもあった。 当然、パンフレットなどにも私の名前が乗ったことで、 同級の渋谷君が他の幼馴染と一緒に訪ねてきた。 子供の頃に釣り好きだった奴は、今でも釣り好きなのだ。 訪ねてきた幼馴染と、会場の2階にあるレストランで昼食をとる。 積もる話は昔の釣りの話だ。 蕎麦屋の渋谷君とは、一緒に自転車通学していた。 そして、学校の帰りには、何時も2人で釣りをしていた。 夏休み等は、河原の石を積んで作られた砂防堤で、 腰まで浸かりながらウナギをとった。 ウナギが獲れると、彼のお父さんが、 翌日にウナギのかば焼きを作ってくれた。 なにしろ、ウナギのかば焼きは高級料理だ。 ホンマモンのかば焼きなんて普段はめったに食えるものではない。 一匹まんま焼いた、あの甘ダレの付いたかば焼きを家に持ち帰ると、 我が家の食卓は豪華絢爛になり、私の両親も目を細める。 なにか、子供心に嬉しかった。 その渋谷君と、昔話で盛り上がるのだから、故郷のフィッシングショーも良いもんだね~。
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2011,08,28, Sunday
海と釣りに似合う音楽 Ⅰ 数年前に、ジギングで与那国島に行った。 到着当日は午後なので、おやつ代わりにおパンを買いこんで、 島周りをドライブしながら、ライトなキャスティングゲームを楽しむことにした。 シーバス用9フィートのロッドに、チビのポッパーを装着し防波堤を釣り歩く。 何処かから三線(沖縄三味線)の音色が聞こえてきた。 港内の石段の上に若い女の子が座って三線を弾いている。 横のベビーカーの中には乳飲み子がいた。 「何時もここで弾いてるのですか~」 「ええ、雨のない日は大概に…」 「お若いですよね~、子供のころから三線を弾いてるのですか~」 「ちゃうワ~、生まれは大阪です~。結婚してから島に~。 覚えたてやから、ホッホ、うもぉないヤン」 なるほど、話を聞くと生粋の大阪っ娘が、 島に憧れてダイビングに来て、島の男に惚れたらしい。 子供も出来たので、 三線でも覚えて島の女らしく生きたいと云う事らしい。 現代風な健気さを感じるね~。 そういえば、決して上手いとは言えない三線である。 それでも、この音色は島の景色が似合う。 そして、南国の穏やかな風を感じる。 海と釣りに似合う音楽 Ⅱ 私が子供の頃に育った津軽は青森県の西半分、 日本海側の地方である。 津軽の民謡歌手に、岸知恵さんと言う人がいる。 一度お会いした事があるが、まあ陽気で、良くお笑いになる方だ。 その方のステージはおよそ、 一般的に直立不動で歌う民謡歌手には思えない。 踊りながら歌うそのパフォーマンスはステージをところ狭しだ。 スタンドマイクでは、とても賄えるものではない。 そして、彼女の歌う津軽じょんがら節は、そのバチ音と共に圧巻である。 如何にも陽気ではあるが、 何か哀愁を帯び、抒情的で感動すら覚える。 それは、厳しく長い冬と、津軽野の地吹雪や荒ぶる日本海の、 そんな生活に根付いた音楽だろうか。 竜飛岬の怒涛の潮流。 その中で群れを成す獣のような巨大魚。 そのクロマグロの群れを追い、ロッドを振り続けるアングラー。 このクロマグロゲームは、究極のスポーツフィッシングだろうか。 しかし、竜飛を背景を目にした時に、 私には津軽じょんから節の哀愁を帯びたメロディー、 そして津軽三味線の力強いバチを弾く音が聞こえてくる。 海と釣りに似合う音楽 Ⅲ 数年前の話だが、サイパンから北マリアナ釣行へ、 韓国の友人たちと釣りに出た。 船中4泊の予定だが、船は旧式の和船であるから恐ろしく船足が遅い。 片道の走行時間が12時間であるから、 実質は目的のサリガン島付近で59時間しか居なかったことになる。 船長も日本人で、何でも伊豆の下田辺りの漁師だったらしい。 そして現地スタッフの2人も日本語を話すので、全く不便は無い。 船の中には日本の漁具がイッパイで、 まるで八丈島の漁船に乗ってる気分だ。 日中はイソマグロのジギングがメインである。 しかし、アンカーを打ってスタッフが寝静まった後で、 キハダマグロのキャスティングゲームが最高に楽しかった。 それは高々10~20キロのマグロだが、何しろ何処に投げて釣れてくる。 寝ないで休みなく釣りをし、50時間ほどぶっ続けでやった。 その朝、シャモロ系の若いスタッフが歌を唸りながら朝食の卵料理を作っていた。 その歌が、なんと鳥羽一郎の兄弟船である。 もっとも船長が演歌好きで、CDプレーヤーで演歌を聞いている。 この船は演歌一色なのだ。 帰りには、さすがに疲労困憊だった。 船尾でビールを煽り、ボーっとしながら体を陽に焼いていた。 操舵室からかすかに音が漏れ、兄弟船のメロディーが聞こえる。 「波の谷間に 命の花が~ ふたつ並んで 咲いている~♪ 型は古いが しけにはつよい おれと兄貴のヨ~ 夢の揺り籠さ~♪」 頭上にはアメリカ国旗が、マリアナ諸島の風を受け靡いていた。 海と釣りに似合う音楽 Ⅳ 島で一番のジギング船と言えば、潤航丸だろうか。 なにしろ、20年近い付き合いだが、 ジギングの創世記から一緒にフィールド開拓をしてきた船長である。 彼は実に不思議な男である。 まだ付き合いの浅かった頃、始めて彼の家に誘われた。 まだ彼が独身の頃である。 真新しい家の2階にあるリビングに通される。 だいたい、漁師の家で2階にキッチンとリビングがある洒落た家なんてのは聞いた事も無い。 リビングのソファーに腰掛け、彼の入れたコーヒーを啜る。 キッチンには奇麗に磨かれた銅製の鍋や、フライパンが吊るされ、 システムキッチンもピッカピカ。 これが独身男の家か?と思うぐらい薄気味悪い。 本棚に料理本等の分厚い本が並べられ、 中に「ニーチェとワーグナー」とか「ニーチェの実存主義哲学の何やら」とか、 カミユの「異邦人」なんて漁師が絶対に読まない。 いや、良識のある漁師は絶対に読んではイカン本だ(笑)。 「パパ~、其処にあるCDで、好きな曲の聴いて良いよ~」 慣れべらたCDはモーツアルトやブラームスなどのクラシック音楽から、 ビルエバンスなどの渋めのジャズだ。 そんな彼が、数年前に結婚をした。 相手は東京フィルハーモニーオーケストラのバイオリン奏者だ。 「島の漁師に、クラシック音楽は似合わないだろう!」。 良く判らん奴だ。 海と釣りに似合う音楽 Ⅴ 島も夏になると、海水浴場は賑わう。 島の海水浴場で聞かれる音楽は、昔は「アンコ椿は恋の花」だったらしい。 やはり、大島に代表される伊豆七島では、代表的なヒット曲なのだろう。 しかし、最近は全く聞かれなくなった。 最近は、レゲイやラップ、 特にヒップホップ系の音楽が圧倒的に多いだろうか。 ヒップホップのメジャーバンドと言えば、 ライムスター、マボロシ、MURO、NITRO、SUIKEN×S-WORD、 DELI、餓鬼レンジャー、キングギドラ。まるで子供向けのTV番組だ。 踊りだしたくなるようなリズムだが、みな同じ音楽に聞こえてしまう。 しかし、水着姿の若い女の子がリズムに合わせて踊るのは悪くは無い。 いつだって海水浴場の目玉は音楽よりも水着姿の女の子だ。 ジギングにもヒップホップは合うかも知れない。 平坦だが一定のリズムをキープする感じで、リズムに合わせロッドを振る。 こりゃ悪くは無い。 だったらヒップホップの原点と言われるR&Bやソウルミュージックでも同じだろうか。 マイケルジャクソンのビリージーンなんてのは相当良い。 では、一定のリズムでアップテンポの曲だったら、 全てジギングには良いと云う事になる。 いやいや、喜歌劇 「天国と地獄」 とか、「軽騎兵」序曲じゃ、早すぎて疲れる。 物事には限度があるのだ。
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| column 大言壮魚 | 05:52 AM | comments (x) | trackback (x) | |
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2011,08,05, Friday
少年時代の釣りⅠ 北国、津軽の海にはアイナメが多い。 アイナメには種類は幾つかあり、その中で一般的なのは 「アブラッコ」とか「シンジョ」と言われるものだろう。 ある日、父が「シンジョ」の大型を釣って来た。 母が台所で調理をするが、ヒバの木の大きなマナイタから、 その尻尾がはみ出している。 それも、1メートルぐらいあったような気がする。 しかし、よく考えてみると1メートルなんてアイナメがあったらコリャ事件だ。 やはり子供心の記憶である。余計に大きく感じたのだろう。 子供の頃、この「シンジョ」を釣るのが得意だった。 オモリの下10センチの所に釣り針を着けるだけ。 餌は、ヤドカリを貝殻から取り出したもの。 竹竿の先にタコ糸を1ヒロ、その先に20センチほどのナイロンハリス。 当時ナイロンハリスはとても貴重なものだ。 磯場を歩きながら、魚の居そうな穴に静かに落とし込む。 20~30センチほどのアイナメが餌に食いつくと、ガクガクっ竿先を引き込む。 稀には40センチを超えるようなビール瓶サイズだと、 それは息が止まるほどの興奮である。 釣ったアイナメは醤油漬けにしてから焼き、晩ご飯の食卓に登る。 串刺しにしたアイナメの香ばしい醤油の香りは、懐かしいおふくろの味だ。 少年時代の釣りⅡ 北国津軽の夏は短い。 9月の声を聴くと霜が降り、10月には山に雪が降る。 岩木山の山頂が白くなる頃、父と一緒にフクラゲ釣りに出た。 櫓で漕ぐ小舟から胴付き針の3本仕掛け。 上の2本にはハゲ皮のバケ、下バリには生きたドジョウを付ける。 下バリにはヒラメが来る事もある。 仕掛けを落としてから、ゆっくりと櫓を漕ぎバケが泳ぐようにする。 しかし、この時期から日本海は荒れてくる。 父が数尾釣っだけで風が出てきた。 「かつあき~(私の名前だ)、帰るから、道具を片付けるべ~」 かじかむ手で、仕掛けを手繰る。手繰った途中で手ごたえがあった。 フクラゲはイナダである。 バケが動いたので食ったのだろう。 ちょうど群れに当たったようで3本食った。 子供の私には大騒ぎである。 父に手伝って貰い何とか引き上げる事が出来た。 いつの間にか、周りにはフクラゲのナブラが出来ている。 もう一度仕掛けを落とそうとすると、父が、「だめだ~、風が出るぞ~、帰る~」 そして、道具を畳んで船が走り出した途端に、 横で大きな水柱が上がり大きな揺れが起こった。 シャチである。それは船の3倍ほどの大きさであろうか。 物凄いスピードでフクラゲを追いまわす。 良かった。 あの場にいたら、こんな小船など簡単に引っくり返っていただろう。 少年時代の釣りⅢ 弘前の小学校にいた頃、林間学校と言うのがあった。 汽車に(懐かしいね~)乗って浅虫温泉まで行き、 そこから徒歩で白根崎と言う岬で野外活動する。 まあ、泊らないけどキャンプみたいなものだ。 焚き木を取るグルーップや、炉を作って火をおこしハンゴウでご飯を炊くグループ。 女子は恒例のカレー作り。 私は当然に食料調達で釣りグループだ。 このグループは人気がある。 なんたって、釣りは楽しいからだ。 先生と私を含め10人ほどが磯場で釣り糸を垂らす。 しかし、こんな釣りはオイラ専門家だ。 左手に湯ノ島を望む、低い磯場をまるで牛若丸のように飛び回る(猿と言った方が良い)。 他は青ベラやゴンズイのような、気色の悪い魚しか釣れない中で、 しっかりとアイナメを3尾ほどゲッチュした。 「わ~、これ工藤君(おいらの本名)釣ったの~、すっごい~、オッキイ~」 女子軍から賛美の言葉を背に受けて、意気揚々、威風堂々。鼻高々。 「まあ、みそ汁さだば、もったいね~けんど、腹ワダ出して、ウロコ剥いで、ブツ切り~」 こうやるだ~!。 パッ、パッ、パッ。 かくして小麦粉がダンゴ状のカレーライスに、玉葱の入ったアイナメの極上味噌汁。 豪華絢爛な食事会だ。 一躍、おいらは先生にも一目置かれるヒーローとなったのである。 少年時代の釣りⅣ ハヤ釣りと言うのがある。 小川で簡単に出来る釣りだ。 エサは食い物だったら何でも良い。 ご飯粒、ソーセージ、ハンペン、魚のハラワタ、皮、 何でも食うのは食欲旺盛だからだろう。 そこで、色んなエサで試す事にした。 ミミズは糸ミミズよりも大きなミミズを小さく切った方が良いようだ。 魚はカツオの肝臓が良い。 野菜類はさすがに食いが落ちる。 しかし、茹でたトウモロコシにも食い付くし、 ウリの種にまで食い付いた。 しかし、何といっても驚いたのは、脱脂綿である。 針に撒き付け、オモリを付けない針を流れに落とすと、 その浮力で浮いたままス~っと流れる。 木陰などの死角に入るといきなりパクリなのだ。 良く考えてみると、フライフィッシングだろうか。 でも、感覚的には海釣りのウィリーにも似ている。 まあ、淡水も海水も魚の習性はさほど変わらないと云う事になるだろう。 このハヤは大きいのより小振りな方が美味しい気がする。 5センチぐらいの奴を3~4匹まとめてテンプラに上げる。 ワカサギとは違った風味がする。 最近は目にする魚ではない。 果たして今でも釣れるだろうか。 少年時代の釣りⅤ 先日、青森でフィッシングショーが開催された。 最近は、地方でもこのような釣りのイベントが多いようだ。 青森は三方が海に囲まれている。 その為か、1万人以上も詰めかけ大盛況だった。 青森出身の私はゲストとして迎えられトークショーもあった。 当然、パンフレットなどにも私の名前が乗ったことで、 中学で同級だった渋谷君が、同じ幼馴染の奥さんと一緒に訪ねてきた。 子供の頃に釣り好きだった彼は、今でも釣り好きなのだ。 会場の2階にあるレストランで奥さんと3人で昼食をとる。 積もる話は昔の釣りの話だ。 蕎麦屋の渋谷君とは、一緒に自転車通学していた。 そして、学校の帰りには、何時も2人で釣りをしていた。 夏休み等は、河原の石を積んで作られた流砂堤で、 腰まで浸かりながらウナギをとった。 ウナギが獲れると、彼のお父さんが、 翌日にウナギのかば焼きを作ってくれた。 なにしろ、ウナギのかば焼きは高級料理だ。 ホンマモンのかば焼きなんて普段はめったに食えるものではない。 一匹まんま焼いた、あの甘ダレの付いたかば焼きを家に持ち帰ると、 我が家の食卓は豪華絢爛になり、私の両親も目を細める。 なにか、子供心に嬉しかった。 その渋谷君と一緒に、昔話で盛り上がるのだから、 故郷のフィッシングショーも良いもんだね~。
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| column 大言壮魚 | 08:08 AM | comments (x) | trackback (x) | |
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2011,05,02, Monday
子供の頃の記憶Ⅰ 私が始めて竿を持ったのは、 小学校に上がる前だから、昭和25年頃だろうか。 父に連れられて近くの川に行き、小鮒を釣ったのが最初だったと思う。 薄っすらとした記憶だが、父が前日に裏山から竹を切ってきて、 その節を火であぶって真っ直ぐにし、手作りの竿を作ってくれた。 父は、その竿先に1メートル程のタコ糸を縛り、 川に圧し掛かるように生えている桜の木の根元で、 そのタコ糸に細いテグスを縛った。 ウキは萱(カヤ)を5センチほど切り、 その3分の一程に切り込みを入れてテグスを通す。 大事そうに新聞紙に包まった板オモリ取り出し、 テグスの中ほどに結び付ける。 虫ピンを折り曲げて焼きを入れて作った針を、その先に結び付け、 半分に切ったミミズを付けて水面から落とし込むと、その萱のウキが見事に立った。 父は自分の竿を取り出す。 今になって考えると、多分渓流竿のようなものだったろう。 かなりの年代物のようだったが、 子供心に父の竿が高価なものであることは理解できた。 そして、何で自分だけが竹を切った粗末な竿なのか、 不満に思ったものである。 ただ、記憶をたどると、父の竿が高価そうに見えた事とか、 釣りをした場所の桜の木に毛虫がいて気色悪かった事とか覚えているが、 どうも魚の記憶は無い。 多分釣れなかったのだろう。 子供の頃の記憶Ⅱ 父の作ってくれた粗末な竹竿は、 小学生時代には大切な遊び道具だった。 なにしろ、物の無かった時代である。 遊び道具は自分で作るしかない。 そして遊び場は、近くの野山であるから、それはその季節ごとに変わる。 冬は雪深い田舎だから、竹で作った竹スキー。 そして、自分で作ったコマだ。 コマを上手く回転させる為には、バランス良く削らなければならない。 それが難しかった。 春には雪解けで川に流木が流れる。 棒の先に自転車のスポークで作った矢じりを付けて、 その流木に投げて突き刺す。 突き刺して拾った流木は、 せいぜいストーブ用の薪にしかならなかったのだから、 ただ突き刺すのが楽しかったのだろう。 雪解けが終わると、それは釣りである。 4年生ぐらいまでは父の作った釣竿で、野山を釣り歩いた。 それは毎日のように、学校から帰るとカバンを玄関に放り投げ、 近くの畑でミミズを取ってからフナ釣りに出かけた。 勿論、粗末な竿であるから、 それに30センチぐらいの鯉でも食らい付くと、それは大騒ぎ。 あじゃら山というスキー場のある沼で、大きなナマズを掛けた事がある、 その時はさすがにその竿が折れてしまった。 子供の頃の記憶Ⅲ あじゃら山の沼で竿を折られた事が、相当悔しかった。 その数日後で友人たちと一緒に、その大ナマズに復讐戦を挑む。 友人の鯉竿を借りて、数人で挑み、とうとう私がその大ナマズを釣り上げた。 それから数日後に、父は4.5メートルの渓流竿を買ってくれた。 そして、フナ釣りは卒業である。 それからは、休日ごとに父に連れられ渓流に通うようになる。 何しろ、今は世界遺産にもなっている白神山地近くであるから、 その渓流はヤマメ、イワナの宝庫である。 足に足袋(タビ)を着け、その上から草鞋(ワラジ)を履く。 子供を連れた足であるから、おにぎりを背負い4~5時間も歩いて釣りをした。 特に春から夏にかけてはマムシの多いところだ。 今考えるとゾットする話だ。 釣りでは、母の作ったオニギリに茄子の漬物が定番だった。 そんな粗末な昼食も、汗をかいて歩いた後では最高のごちそう。 焚き木を熾して釣ったヤマメに味噌をつけて串に通して焼く。 これがまた、串ごと持ってかじり付くと、なんとも香ばしくて美味しい。 戦後の、物の無かった時代である。 しかし、身なりは貧しかったが心は豊かだった気がする。 子供の頃の記憶Ⅳ 当時の父は、僻地の教師である。 その為に転校が多く、私たち家族も父と一緒に引っ越しを繰り返した。 其々の学校には教員住宅があって、特に父は校長であった為に、 学校に付属した住宅に住んだ。 学校は大概に小高い丘にあり、 裏には山があり川が流れる。 転校が多かった為に、友達は少なかったが 釣りが出来るので苦にはならなかった。 津軽の野山は冬の訪れが速い。 津軽富士と言われるお岩木山の山頂が、 真白な雪で覆われる頃、裏の川に釣りに行った。 それは麓でもチラチラと雪が舞う寒い日だった。 川に浸って釣りをするのは、さすがに凍える。 そこで熊笹の生えた川沿いに歩きながらポイントを探した。 大きな岩の陰から川面を覗くと、 30センチもあろうかと思われる大きなヤマメが見えた。 釣りたい。 音をたてないように、そっと岩の上に立ち、 其処から竿を出す算段をした。 そして静かに、その岩によじ登り竿を伸ばして後ろを振り返る。 そこから10メートルも離れていない杉林に、大きな黒い影が見えた。 冬眠前でエサを探していた熊である。 ただ、相手は臭攪の優れた動物であるから、 先に私に気が付いたのであろうか、 そのまま杉林に消えて行った。 それは釣りを通して、生涯に忘れることのできない、 恐ろしい出来事であった。 子供の頃の記憶Ⅴ 教師である父は夏休みになると私を連れて実家に帰る。 父の実家は、西津軽の日本海に面した深浦に在る。 もともと網元の旧家だが、 近くには追良瀬川や赤石川と云った鮎の銘川があって、 父は鮎の友釣りの精を出す。 私も一緒に出かけるが、何しろ昔のことだから、 この友釣りの竿は恐ろしく重たい。 小学生の私には持てる代物ではない。 それでも必死になって竿にしがみ付くものだから、 大人から見ると可愛く見えるらしく、皆にからかわれた。 いつだか、この父の鮎竿を持ち出して川に行った。 オトリのアユも着けずに、仕掛けを流した。 しかし、あまりの重さと急な流れで、石に足を取られすっ転んでしまった。 そして、大変なことに大切な父の竿が、私の手から離れてしまう。 それは、急流から深みに流れて沈み込み、 もう子供の私では見つけ出す事も出来ない。 私は泣きながらびしょ濡れで家に帰った。 てっきり怒られると思っていた。 しかし、その日の夕方に親戚中の男が集まって、その深みに落ちた竿を捜し出した。 そして、実家で待ちわびている私の所に、その竿を担いでやってきた。 それは、始めて大人を尊敬した瞬間かもしれない。 そして、それが私をアユ釣りの虜にするキッカケであったろう。 釣り師パパ大津留の原点である。
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| column 大言壮魚 | 05:43 AM | comments (x) | trackback (x) | |
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2011,04,25, Monday
Ⅵ、釣りの品格(スポーツの定義) 「釣りはスポーツである」と云う話は、釣りのルールを語るときには述べられる言葉だ。 しかし「スポーツフィッシング」と云う言葉はあっても、 これは釣り人側が発する言葉で、 一般社会では釣りをスポーツとしての認知していないだろう。 例えば、各種の釣り大会、釣りのトーナメントが、 スポーツ番組で報道された事はないだろう。 これが社会の釣りにたいする認識なのだろう。 それでは、スポーツの定義は何だろうか?その起源から考えてみると、 スポーツの起源は「狩猟」と「戦(争い)」と言われる。 「狩猟」と「戦」は類似するのだが、 「戦」がルールを持ってスポーツ化されたものが(特に個人技)格闘系スポーツであり、 代表的なものがレスリングやボクシング、柔道、空手、であり世界中に存在する。 「狩猟」の場合も「戦」に共通するものも多いが、 やり投げや砲丸投げ、円盤投げ、などの投擲系個人技。 また、アーチェリーや射撃のような射的系個人技。 そして、集団で獲物を追いかけたクロケットやホッケー系、 其処からボールを使うようになった、サッカー、野球、ラグビーなどの団体球技系だろう。 水泳なども、本来は水中での「戦」が起源と云うから、 他人と争うという人間の性(サガ)がルールを作りスポーツになったともいえる。 人間は、ホモ・サピエンス[英知人]「賢いヒト・考えるヒト」と言われるので、 サガからの争いを避ける人間の英知がスポーツを生んだ事になる。 Ⅶ、釣りの品格(釣りとスポーツの違い) 釣りも狩猟と同種のものである。 しかし、狩りを起源とする他のスポーツに比べ、 釣りがスポーツとして社会認知されないのは、 国際的なルールが無いからとも思われる。 しかし、ここには決定的な違いがある。 それは、いまだに行われる狩猟だが、 その対象になる獣類、鳥類が、 今では人間の食料確保の存在ではないと云う事だ。 その多くは、希少種であり、人間社会での食料ではなくなっている。 ほとんどの食肉は、豚、牛、鳥であり、 それは家畜類として畜産されているのだ。 では、釣りの対象になる魚はどうだろう。 そのほとんどは、未だに漁業として様々な魚種が世界中で漁獲され 、養殖魚(畜産)は総漁獲数の10パーセントにも満たないのだ。 狩猟は、その対象が無くなったことで、 様々なスポーツの進化過程として、 否が応なしにルール化されてきた。 釣りは、その対象である魚が豊かに現存する(確実に減ってはいるが)。 そのために、スポーツ的な進化を遂げていないのではないだろうか。 Ⅷ、釣りの品格(資源と文化) 欧米文化の多くは、狩猟文化から発展した牧畜文化であろうか。 牧畜文化が食肉を生み、乳業を生み、衣料を生んだ。 その発展が産業革命を生み機械産業の発展と石油化学製品を生んだと言われる。 日本人は、四方が海に囲まれた島国である。 しかし、本来は農耕民族と言われ、 当然にその文化は、米などの穀物、野菜、魚が中心の食文化であり、 衣料は蚕からの絹織物や麻を摘んだ麻織物などの繊維織物である。 農耕から生まれた文化は、年々の自然の恩恵を繰り返し受ける。 自然災害などの影響は受けるが、自然そのものが存在する限り、 人の手で栽培を繰り返し行う事が出来る。 牧畜からの畜産などもそうだが、狩猟はキャパを超えると食いつぶす。 アメリカのバッファローを始め、多くの野生動物は狩りによって失われた。 その中で、多くの物質がクロスオーバーして流通する現代だ。 世界の4分の一の人口を抱える中国の、 その内陸部でさえマグロ、カツオの海産物を消費する時代だから、 バッファローの二の舞を心配するのは欧米人だけでは無い。 そんな社会環境の中で釣りを行われている。 いさかい(戦争)のあるところでは釣りと云うレジャーは成り難い。 それだけに釣り文化は平和の象徴だが、 それでも資源を食いつぶすレジャーに対して、 世間が厳しい目を向けるのは自然の成り行きだろうか。 Ⅸ、釣りの品格(海洋資源の将来) 釣りの将来像は資源のありように掛っている。 マグロの総量規制は勿論だが、 毎年3万トン以上を漁獲している中西部太平洋のメバチマグロも、 総漁獲量を25%削減するように勧告された。 これは、マグロの資源を管理する国際機関のシミュレーションで、 この漁獲が続けば15年以降で極端な資源枯渇が起こると指摘されているからだ。 しかし、その最中にクロマグロが2006年の全漁獲枠32,000tに対して 20,000t以上も不正漁業が横行しているとの指摘がなされる。 これは、国際的な漁業規制があっても資源の枯渇が止まらないと云う事だ。 先の環境サミットでもそうだが、不惑の将来像が見えても、 其々の国の思惑、地区の思惑、個人の思惑が絡まって対策が追い付かないと云う事になる。 そして、資源以上の漁獲に加え温暖化などの環境悪化もある。 それは、我々釣りを愛するアングラーが、 その対象となる魚を獲る事が出来なくなる可能性もあると云う事になる。 釣りが、狩猟と同じ道をたどる。 投げ釣りやキャスティングゲームは、的に向かうシューテングゲームに変り、 他の釣りはゲーム機上での遊びか、釣り堀でしか遊べなくなる。 少々深刻に考え過ぎだが、 いずれにしても、釣りが文化としての品格を問われる時代になっている。 Ⅹ、釣りの品格(楽しい釣り) 環境時代であるから、釣りに対して社会の目が厳しくなっているだろうか。 しかし、何があったって釣りは楽しい。 断然楽しい。 そして、私はこの釣りを止める事が出来ない。 だからこそ、釣りの楽しさを知らない人は不幸だと思うし、 そんな連中に釣りの楽しさを教えたい。 まあ、感じ方には個人差があるから、同じような釣りして、 同じように魚を釣っても、全く喜ばない人もいるだろう。 だからこそ、何かを伝えるには品格が大事なのかも知れない。 釣りの品格は、大きい魚を釣る事でもない。 厳格なルールの基に、それを守る事でもない。 法的に規制されている以外は、「魚を獲ってきてはいけない!」とか、 「獲った魚を食べちゃいけない!」とか、「小さいから逃がせ!」とか、 そんな言葉ではない。 その意見には個人差があるからだ。 私だって子供の頃は、小さい魚も持ち帰って自慢したし、 ビギナーの頃はたくさん釣って美味しく食べた。 自慢したって良いじゃあないか。 言いふらしたって良いじゃあないか。 それが釣りだろう。 そして、釣りの品格とは、そこから培われた愛情だ。 それは、魚に対して、人間に対して、自然に対して。 そして品格は、釣りをしている姿に現れる。 その愛情が、品格として、その姿に現れるのが釣りだ。
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| column 大言壮魚 | 09:01 AM | comments (x) | trackback (x) | |




